お知らせ
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「あるお店の閉店」
20年来通っていた銀座のクラブが閉店した。
ここ最近、ママさんが体調をくずしてほとんど出勤出来ず、その為、客足が遠のき、いつか、この日が来る事は予測出来た。
銀座で、ピアノで唄えるクラブという事が特徴で音楽好きの(特に60年代オールディズ)の客が多くママさんも、ジャズシンガーとしてデビューしていたと云う。
紹介してくれたのは、宮崎時代の友人W氏。
私がメルスの社長をしていた頃、東京支社長として赴任。
彼は、当時ビックバンドのシャープスアンドフラッツの原さんに紹介されたと云う。
彼に連れていかれて、ママさんのもてなしもピアノ演奏も、唄っているお客さんも全てレベルが高く、いっぺんに気に入って、ホームグランドにすると決意した。
この店は、演歌も歌謡曲も唄えるが、常連さんが唄うのは、60年代オールディーズだ。
私も、大学時代グリークラブのレパートリーにあったので入りやすかった。
お店の何かのイベントの時は、ベース、ドラム、サックスを入れたピアノカルテットと唄えたのも醍醐味であった。
壮観だったのは、このお店の創業30周年で、旧赤坂プリンスホテルのクリスタルホールで、400人集めてのコンサート。
もちろん、ママさんが主役で、原信男とシャープスアンドフラッツのバンドで唄われたのだが、我々常連の7人も前座で、ピアノの先生のカルテットで唄わせて頂いた。
私が唄ったのは「アンチェイントメロディー」
パーティー券3万円。後で恥知らず七人衆ともいわれた。
他にも、大きなイベントは、銀座のモンテカルロ、六本木のサントリーホール等などでも行われ、我々はめげずに前座をつとめたものである。
ピアノの先生は、常連の歌い手に対していつも注文が多かった。
結果的にその指導が、歌い手のレベルアップにつながったのだと思う。
最終日10月4日は、さすが常連客で満席となった。何年振りかで逢う人も何人かいた。
遠慮のない会話が飛交い、爆笑につつまれた。
ただ、このようなアットホームな店、ピアノで唄える店は、銀座にもなくて、これからどうする?との会話もあった。
この件は、ママさんが体調不良で、店に出勤出来なくなったことで、閉店に追い込まれたのだが、
40年を越える歴史をもった店だけに、顧客管理はママさんに委ねられているだろうが、
出勤出来ないことで、スタッフ一人一人に引継ぎは出来なかったのか、又、スタッフも店を継続させる為に、
顧客を引継ぐ意識が希薄だったのではないかと思う。
これは、ファッション業界でも云えることで、店長が長期にわたり離脱した時に備えて、各スタッフも、
顧客を引継ぐ意識が強くないと顧客の店離れが始まり、店の存続はなくなる。
現今の厳しいファッション業界において、生き残れるかどうかは、生きた顧客管理が出来ていることである。
畑中