お知らせ

50年会

同志社グリークラブのOB会は、毎年総会が開催されるが、それとは別に、大学卒業後、30年、40年、50年経過した学年が幹事となり、前後3学年ずつを招集して、計7学年で、30年会、40年会、50年会を開催している。

我々39年卒は、昨年50年会の幹事学年であった。昨年は、同志社グリークラブ創立110周年で、その行事とかさなり、慌ただしく会の進行を進めざるをえなかった。40年会の時も、100周年の行事とかさなり、大変だった記憶がある。

何時ごろからか、12月のグリークラブの定期演奏会と日程を合わすようになったが、今年は、単独の開催となった。その分ゆっくりと3時間、歌あり、酒あり、食事あり、笑いありで、楽しい会となった。60名が参加された。7学年の最高学年が天皇陛下を呼ばれ、この日で卒業していく事になっている。

今回の会場は、寺町丸太町の新島会館。NHK大河ドラマの「八重の桜」放映の頃は、新島褒、八重夫人の足跡を辿る観光客で、連日大にぎわいだったと、タクシーの運転手から聞いた。

我々39年卒は、ゴールデンバット39の愛称を持っている。同期のI氏が、草津音楽祭のプロデュースしているので、これを同期で応援しようとか、同期のS氏が、都内でリサイタルを開く事を検討しているので、これを応援しようとか(本人の都合で実現出来なかった) 又、同期のY氏の一周忌に、クローバークラブの応援をえて、カレッジソング、讃美歌を歌ったりした事、我々同期の絆を高める為につくった愛称である。

我々は、ある事情があって(私のグリークラブの無二の親友の不祥事、卒業後発覚)卒業後、同期で集まる事をさけていた。

21年前、30年会の幹事学年になった年、先輩達から「39年卒が幹事するなら、30年会は消滅するかな」と言われていた。

先輩方の心配をはね返すべく、関西在住のメンバー中心に、伝統ある30年会(当時は30年会だけであった)の準備を着々と進め、見事、盛大な30年会の開催が出来たのである。

これを契機に、同期の結束が高まったのは、言うまでもない。ここからしばらくして、ゴールデンバット39の愛称が出来た。

一時期、39年卒は、関東在住が増え、7~8人いたことがある。その頃は、年に数回、都内で集まったりもした。

40年会の我々が最高学年、いわゆる天皇陛下の時は、私は家内と一緒に参加した。その頃、草津音楽祭も一緒にいっていたので、家内も顔見知りが何人かいて、二次会、三次会まで付き合って、楽しくしていた。この時私は、完全に酔っぱらって、最後の飲み屋からホテルまで、どうして帰ったのか、全く記憶がなかった。もちろん、家内がひっぱって帰ったのだが、翌朝、家内から、散々お目玉を頂いたのが、今でも鮮明に覚えている。

 

畑中宣彦

東京都江東区永代2丁目13-5
高梨加藤ビル2階

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